とうとの『普通じゃない人の生き方』

いつだって人とずれている・・・そう、発達障害でした。

ストレス耐性の低さは昔から

今では混合型と呼ばれることもしばしば。そんなADHDASDは違いはあるけど、両方の症状があると結構大変。

感情が抑えられなくなるのは、たいていストレスが溜まって限界が来ている時。怒りの沸点も低くなり、ちょっとしたことで爆発してしまう。言わなくてもいいことを言ったり、物に当たったりして後で後悔する。言ってる時は相手の気持ちは全く分からず、行った後に傷ついたかも分かっていない。たいてい言いすぎて相手から何か言い返された時に今のは言ってはいけなかったのかと思うことが多々ある。

疲れが溜まっている時というのは聴覚が過敏になり、ちょっとした音でもうるさい、日常の音でさえ耳を塞ぎたくなるくらいうるさい。TVの音声と人の会話が同時に聞こえるシーン、更に食器のカチャカチャ音や外の風の音など誰かと食事というのは案外ストレス要因なのかもしれない。

今は薬のおかげ?か、怒りという感情があまり沸かず、冷静な状態にあるように思う。ただ、楽しい!とか、面白い!と言った感情も薄れている気がする。薬を変更する前に飲んでいたものがあったが、飲み忘れなどがあった日は様子がいつもと違うと言われるほどなので、薬の効果は大きかった。

そういえば小学生の時、ちょっとした悪いことをしてしまったことがあって、担任の先生から呼び出されたことがある。私も含めて数名机の横に立たされて、事情確認から結果、謝罪という流れになったのだが、私が謝罪した後に先生から「君の謝罪は謝っている感じがしない」と言われたのを今でも覚えている。

その時は本当に悪いと思って謝ったのだけれども、その頃から感情表現が苦手だったのか、話す言葉に抑揚がなくセリフを棒読みしているような感じだった。今現在の話し方を振り返ると、抑揚が少なくアクセントや言葉のチョイスがおかしかったりするかもしれない。人の気持ちが分からないというのも言えていて、言葉で表現されないと全然分からない。何を考えているのか表情から読み取れないのである。更に言葉も抽象的だったりすると何の話をしているのか分からなくなるので、誰かと話すというのは本当に一苦労。適当にやっておいてとか、数分待って等抽象的な表現だとフリーズする。曖昧な表現を理解できない。

職場におけるストレスの一つとして、誰かとコミュニケーションを取らなければ成り立たないという環境がある。これは仕事に慣れてきてようやく無言でこなせる時期になってくると余計人と話すハードルが上がる。話しかけづらくなり、席から立てなくなり、結果自己判断でミスをしてしまう。それの繰り返し。結果、ストレスが溜まってしまう。言葉にしないと分からないと言いながらも、その言葉を得るための手段すら壁が高いのである。社会性の低さとコミュニケーション能力の欠如、想像力のなさが結構人との関わりに影響する。